Esperienze Kyogen – Tarokaja de gozaru

sc01Un vecchio articolo in Giapponese che ho scritto nei primi anni di esperienze con il Kyogen.

 「太郎冠者でござる。」 私の人生を変えた経験
ルーカ・モレッティ

「よーし、いいぞ。もう一度」と長く長く思える一ヶ月の間、関根先生はこう吠え続けた。舞台に一歩を踏み出した私にはとても難しいことだった。引き絞られた弓のように、観客の心を引き付けるために身に力をため、緊張する。関根先生は舞台上のトリックを教えてくれた。魚釣りと同じなんだ。糸を繰り出したり、巻き込んだりして、魚を遊ばせる。糸は強く引けば切れ、ゆるめると魚は逃げてしまう。だから常にピンと糸を張っている必要があるのだと。私はこの教えを現実の生活に当てはめてみた。つまり演技が生活で、生活が演技なのだ。
先生が何故最初のセリフを何度も何度も稽古させたのか分からなかった。一回目の時に「素晴らしい」と言いながら、何故、さらに何遍も何遍も練習させられるのか分からなかった。今振り返ってみれば分かった。この厳しい稽古が最高のレベル、完璧な演技のためだったということが。私は完璧を目指し生きることにした。そういう意味で私の人生を変えたと言ったのだ。
私が初めて狂言と出会ったのは役者選考の日であった。最初の印象は緊張の中に大きな力を秘めている演劇形態なのだということだ。そこに僅かな優雅な動きがあり、制御された声に、動きの中に爆発するような表現があり、無と有のゲームであり、何にも増してこれが喜劇であるということを知った。そこには時も場所も超えた笑いの力があった。簡単に言ってしまえば狂言に恋をした。初めの興奮が収まると、私はイタリア語においても一度もこのように演技をしたことがないことに気づいた。「本当にやりたいと思えば出来る筈だ。」

稽古はきつかったが楽しいので疲れは残らない。私は良く寝る男でいつも遅刻する。しかし、稽古の期間中は違っていた。他の役者達と私は先生のフラットに30分前に着き、インターフォンに「開門、開門」と叫んだものでした。日が経つにつれて「素晴らしき6人」は融合し合い、その時から狂言が私の一日の全ての時間を占めるようになった。第一段階はお客さんに分かってもらえるようにセリフを言えるようになること。数週間のうちに我々のイタリア語のイントネーションやアクセントを消し、狂言調にすることは先生にとって大変な仕事だった。第二段階は声の訓練であった。ここで私はオペラ歌手のように遠くに声を飛ばす訓練をした。第三段階は動きであった。『酔っ払いの仕返し』では立ち姿を狂言に似せ、すり足で歩く。しかし、何遍稽古しても全員がうまく出来なかった。6人がばらばらになってしまう。
2004年の日本公演ツアーは夢の実現であった。国立能楽堂に立った時には狂言師の祖先達の霊に会ったような気がした。鏡の間で鏡に写る自分を見つめ、自分が演じようとする役を探した時に私の血は凍った。「さあ、自分の番だ」と自分に言い聞かせて舞台に出た。観客の笑いから受け取るエネルギーが自分は舞台が好きなんだと自覚させた。舞台上にいる時には何とも形容のできない高揚した感覚の中にいた。私達はいろいろな所に行き、素晴らしい人々に会ったことが第一回目の日本公演ツアーの記憶として残っている。

私はイタリアに戻ってから狂言の勉強を始め、卒論に『狂言師の声』と題する論文を書いた。
再び舞台に上りたいという思いが募ってきた。その時に先生から極めて簡単なメールがきた。「また舞台に出るぞ、役は太郎冠者。以上。」びっくりして椅子からころげ落ちた。「太郎冠者でござる」考えられないことだ。太郎冠者は狂言の中のアルレッキーノだ。喜劇の象徴とも言える登場人物である。天に昇る気持ちになった。私は一生懸命稽古をした。最初に演じたただの阿呆の酔っ払いではないので、太郎冠者の役を演じるにはただ馬鹿なことをするのではなく観客を笑わせねばならない。初めて、役に命を吹き込むように役を作り上げて行った。前年に比べたら倍の量の稽古をした。動きに、声の使い方に。先生から能の発声も習った。観客が一音節も聞き損なわないよう、日に日に私の太郎冠者が命を持ってきた。二度目の2005年日本公演ツアーは貴重な体験となった。狂言の演技とコンメディア・デル・アルテの演技方法とが融合し、我々の劇団は観客から舞台への参加を引き出し、舞台と観客を一つにすることが出来た。再び舞台の上で言葉では表現不可能な感覚を覚えた。大勢の観客の目に生き生きとした喜びを読み取った時に、私の人生は変わった。
後日、善竹忠重さんが私を弟子にしてくれると言った時には大変な名誉であると思った。そして忠重師匠と息子の忠亮さんから狂言を習うことになった。最初は関根先生と同じで、忠重師匠と忠亮さんの真似を無心にすることから始まった。ローマKyogen一座の日本ツアーの後一週間忠重さんの内弟子となり稽古場について回った。そこで私は自分の文化的伝統を一時忘れ、師の忠重さんの一挙一投足を真似して、一語一語を心して聞き、狂言の何たるかを学ぼうとした。この時私は単に形を真似るだけでなく、役者としての自分の心を伝えようとした。善竹忠重一家との一週間は短かったが、大きな豊かな体験をさせていただいた。

二度の日本の公演ツアーで、日本と日本人についてたくさん学んだ。個人の力を超えたところにあるチームワークについても学んだ。舞台の上、また劇場の外での互助の精神を養った。男として、役者として成長することができた。まとまりのない文章ですが「狂言が私の人生を変えた。」と言いたかった。

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